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PEOPLE TEMPLE/JIM JONES(人民寺院/ジム・ジョーンズ) T-shirts / natural BODY

5,200円(内税)

  • サイズ
購入数
▼PEOPLE TEMPLE/JIM JONES(人民寺院/ジム・ジョーンズ)
▼TシャツBODY:5.0oz 
▼BODYカラー:ナチュラル
▼抜染、染み込みグリーン、レッド、ブラックインク使用
サイズ(cm)
▼XS:着丈/64 身幅/45 袖丈/16
▼S :着丈/65 身幅/48 袖丈/20
▼M :着丈/68 身幅/50 袖丈/20
▼L :着丈/71 身幅/53 袖丈/21
▼XL:着丈/75 身幅/53 袖丈/22
※単位はcm
※繊維製品ですので、±1〜2cmの誤差があります。ご了承下さい。



3色刷りでインクを重ねていますが、染み込みインクを使用している為、インクのごわつきなどは極力抑えています

:フロント

上部左に教祖ジム・ジョーンズの説法中の写真を

真ん中に
“If you're born in capitalist America, racist America, fascist America,
then you're born in sin. But if you're born in socialism, you're not born in sin.”
あなたが資本主義のアメリカ、人種差別的なアメリカ、ファシストアメリカで
生まれていたなら、あなたは罪人として生まれています。
しかしあなたが社会主義で生まれていたなら、あなたは罪人ではありません。」の文字

そして
SUICIDE IN GUYANAの文字と横に皆が自殺に使った毒薬のイラストを

その下に
Son of a bitchin' no good lousy ass anarchistic capitalist bitch.
「お粗末なくそったれ無政府主義資本主義野郎」の文字



フロント中心にはグリーンでガイアナ国の形の中に人民寺院の集団自殺の後の凄惨な光景を



その右に資本主義に切り刻まれた教祖ジム・ジョーンズの顔、
それにアメリカを象徴するコカコーラとプレイボーイのマークをFUCK THE SYSTEMの文字と共に


その下には、後に裏切られることになる、ガイアナ移住前にジムの愛人だったグレース

その下に
JONESTOWN MASSACRE!! JIM JONES DEATH CULT!
「ジョーンズタウンの虐殺!!ジム・ジョーンズの死のカルト教団!」の文字を


下部には
ガイアナの上にジョーンズタウンの地図を

そして信者が「I BELIEVE IN JIM JONES」と書いたカードを持っている写真の横に
CULT OF DEATHの文字
その下に
We committed an act of revolutionary suicide protesting the conditions of an in humane world.
「 我々は非人道的な世界に抗議し、革命自殺をする」の文字




:バック

上部に
信者が「I BELIEVE IN JIM JONES」と書いたカードを持っている写真と
death toll in jonestown climbs to 775.
smaller bodies found under larger
「ジョーンズタウンでの775人にものぼる死者。大きい死体の下には小さな死体も」の文字


下部に
ジョーンズタウンの看板と自殺に使用された毒薬の写真と
If we can't live in peace, then let's die in peace.
「 私たちが平和に暮らすことができない場合は平和と共に死んでみせましょう 」の文字












PEOPLE TEMPLE/JIM JONES(人民寺院/ジム・ジョーンズ)

1978年にガイアナで集団自殺を行ったことで知られるアメリカのキリスト教系新宗教である。カルトの典型とされた。



ジム・ジョーンズは1931年5月13日、インディアナ州の貧しい家庭に生まれた。
KKKのメンバーだった父親は、彼が12歳の時に家族を捨てた。以後、母親のリネット一人の手で育てられた。
彼が生まれた町はいわゆる聖書地帯で、しかもファンダメンタリスト(聖書を文字通りに信じる宗派)が多い地域だった。
不遇な彼は信心にのめり込み、常に聖書を携えるようになった。
そして、宣教師の娘、マーセリン・ボールドウィンと結婚したのを機に聖職者の道を歩み始める。

人民寺院は1955年に、ジム・ジョーンズ(ジェームス・ウォーレン・ジョーンズ)によってインディアナ州インディアナポリスで設立され、
1959年にはクリスチャン・チャーチに加盟し、「人民寺院・クリスチャン・チャーチ・フルゴスペル」と改名した。
その後、1963年にカリフォルニア州サンフランシスコに拠点を移している。
「人種差別撤廃」を掲げ、ジョーンズ自身も韓国人と黒人の子供を養子にしていた。
当初マスコミでも優れた社会活動家であるという報道がなされ、時代のヒーローとなった。
そのため、この時期に数多くの有力政治家たちと結びつきが強くなったとされる。
しかし、実際にはジョーンズ自身の主張とは裏腹に、信者の8割以上が黒人などの有色人種でありながら教団幹部は白人のみで構成されていた。
都市の下層民を収容し、福祉サービスを供給するコミューン(公社)としての性格も有していたとされた。
しかし、その実態はジョーンズとその一派による独裁団体で、次第に脱退信者やマスコミなどから批判を受けるようになった上に
ジョーンズも大麻・薬物に強く依存し、強迫観念に駆られるようになった。



多くの連続殺人者がそうであるように、ジョーンズも過剰な性欲を持て余していた。
有名になるにつれて、それはますます肥大化した。何人もの女と寝た後でも、まだオナニーできると自慢げに語っていたという。
しかも、両刀使いだった。信者たちを男女を問わず喰いまくった。

ジョーンズの右腕として人民寺院を成長させてきたティム・ストーンの妻グレースはジョーンズの愛人でもあった。
1972年にはジョーンズの子を出産している。
グレースは人民寺院に疑問を抱き始め、悩みに悩んだ挙句、遂に脱会を決意したのである。
ジョーンズの報復を恐れて居所を転々としていたグレースは、弁護士を雇って息子の養育権確認訴訟の準備を始めた。
ジョーンズは愛人に裏切られるわ、眼の中に入れても痛くない我が子を返せと訴えられるわで半狂乱となった。
そして、信者をまるごと率いて国外逃亡を決断する。


ジョーンズは南アメリカにある、ガイアナへの集団移住を決意した。
なお、この頃には極左思想に傾倒し、かねてからジョーンズ自らがシンパシーを寄せていた共産主義の到来を唱えた。
1973年に人民寺院は、ガイアナ西部のジャングルを切り開き
「ジョーンズタウン(Jonestown、正式名称はPeople's Temple Agricultural Project)」
と呼ばれる町を作り上げ、外界と完全に遮断された状況下で自給自足の生活を開始した。
その後アメリカから多くの信者がジョーンズタウンに移住した。


しかし間もなく、「ジョーンズタウン」においてジョーンズらによる信者への暴力事件やレイプなどが多発し、
信者たちに強制労働が行われているとの噂が立った。
さらに、信者の子供が無理やり「ジョーンズタウン」に連れて行かれ、まともな教育も提供されなかったことや、
これらの状況に嫌気がさして脱退しようとした者がそれを許されず、実質的な監禁状態に置かれていたこと、
ジョーンズの指示で「外部からの侵略」が行われたときに備えて、週1回「ジョーンズタウン」に住む信者に対して、
銃を使った軍事訓練を行っていたことなどが、逃亡した元信者や信者の家族などにより伝えられたことから、
人民寺院やジョーンズに対する批判が起き、社会問題として大きく取り上げられるようになった。


これらの動きを受けて1978年11月14日、マスコミの報道や家族会の要請を受けて、レオ・ライアン下院議員が報道記者たちを
従えてジョーンズタウンを視察した。
特に目立った問題はなく、事なきを得たかに思われた。
だが、数日滞在するうちジョーンズの異様な振る舞いや、不衛生な小屋にスシづめにされ医者も呼ばれず死を待つばかりの老人たちなどを
発見するも信者に強制退去させられるなど、教団の異様性に気づく。
また、監視の目のないところでは多数の帰国を希望する信者からの訴えを受けたことや、様々な虐待の証拠を発見したことから、
11月18日に一通りの視察を終えたライアン議員は、ジョーンズに帰国希望者計16人をアメリカに連れ帰る事を提案。
実際は恐怖政治による監禁コミュニティではあったが、対外的には「ジョーンズタウンからの出入りは自由」と標榜していたため
ジョーンズと人民寺院側も渋々承諾した。

ライアン議員ら視察団と16人の帰国希望者が同日午後に「ジョーンズタウン」近くのポート・カイトゥマ空港に到着し、
小型機2機に分乗して出発しようとする。
しかし、出発時にライアン議員はいきなり信者に切り付けられた。
突然「帰国希望者」の1人が発砲するとともに、人民寺院の信者たちが密林からトレーラーで現れ、議員らに銃撃を加えた。
これによって、ライアン議員とNBCテレビのドン・ハリス記者、取材クルーら5人が死亡し、11人が重軽傷を負った。


襲撃後「ジョーンズタウン」に犯行から戻った信者たちは、同日午後5時過ぎ、ジョーンズの指示によって、
大きな鍋に入ったシアン化合物入りの飲料水を飲むか、シアン化合物を注射して集団自殺を図り、「ジョーンズタウン」で
暮らしていた信者の約9割の914人が死亡した。その内の267人は18歳以下の子供であった。

信者たちに対し、これは「革命的自殺」であり、「別世界への旅立ち」だと訴えていた。
このときのテープは演説、信者達の歌声が鳴り響きながら次々にその歌声が途絶えていき、
最後にはまったくの無音になるという恐るべき死の過程を記録したものであり、後にTVでも放送され、全世界を恐怖のどん底へ陥れた。


死者の中には、無理矢理自殺を強要された者もおり300人程度は他殺である、とする説もある。
実際に生存者の証言では死を拒否した信者は集団で押さえつけられ、無理やりシアン化合物を注射されたり、
逃げ出そうとして銃撃され殺害された者も多数いるという。
後の検死で本人には到底刺せない位置に注射の跡があった死体や、背後から撃たれた死体なども多数発見されている。
一方で大半の信者が自らの意思で自殺したこともまた事実である。
同時にジョーンズも自らの妻子を先に自殺させた上で、自らのこめかみをピストルで撃ち自殺した
(検視の結果、ジョーンズの体からは大量の薬物が検出された)。
なお、この集団自殺の生存者はジョーンズタウンから脱走した167名のみであった。


この事件の公文書の多くが現在でも非公開になっているが、「人民寺院」はその表向きには正義を標榜していたこと、
影響力と資金力があったことから数多くの政治家や、有力政党と結びついており、公表することで多数の政治家が失脚するほどの
影響力があったためだといわれている。

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